一
今宵こそ ハイネとふたり わがぬると 友いひこしぬ 星合いの夜に二
君をして 楊貴妃桜 咲く蔭に 舞はせてしがな 羽衣の曲を三
浪に入る 夕日ながめて おばしまに 鬢の毛からむ 浜の松風四
わが恋を みちびくほしと ゆびざして 君ささやきし 浜寺の夕五
髪五尺 ときなば水に やはらかき 少女ごころは 秘めて放たじ六
その子ニ十 櫛にながるる 黒髪の おごりの春の うつくしきかな七
清水へ 祇園をよぎる 桜月夜 こよひ逢ふ人 みなうつくしき八
経はにがし 春のゆふべえを 奥の院の 二十五菩薩 歌うけたまへ九
やは肌の あつき血汐に ふれも見で さびしからずや 道を説く君十
ゆあみする 泉の底の 小百合花 二十の夏を うつくしと見ぬ十一
絵日傘を かなたの岸の 草になげ わたる小川よ 春の水ぬるき十二
ほととぎす 嵯峨へは一里 京へ三里 水の清滝 夜の明けやすき十三
なにとなく 君に待たるる ここちしてく 出でし花野の 夕月夜かな十四
夕ぐれを 花にかくるる 小狐の にこ毛にひびく 北嵯峨の鐘十五
詞にも 歌にもなさじ わがおもひ その日そのとき 胸より胸に十六
くろ髪の 千すぢの髪の みだれ髪 かつおもひみだれ おもひみだるる十七
四条橋 おしろいあつき 舞姫の ぬかささやかに 撲つ夕あられ十八
いとせめて もゆるがままに もえしめよ 斯くぞ覚ゆる 暮れて行く春十九
道を云はず 後を思はず 名を問はず ここに恋ひ恋ふ 君と我と見るニ十
春ゆふべ そぼふる雨の 大原や 花に狐の 睡る寂光院二十一
川ひとすじ 菜たね十里の 宵月夜 母がうまれし 国美しむ二十二
春曙抄に 伊勢をかさねて かさ足らぬ 枕はやがて くづれけるかなニ十三
海恋し 潮の遠鳴り かぞへては 少女となりし 父母の家二十四
鎌倉や 御仏なれど 釈迦牟尼は 美男におはす 夏木立かな二十五
ほととぎす 治承寿永の おん国母 三十にして 入りませる寺二十六
髪に挿せば かくやくと射る 夏の日や 王者の花の こがねひぐるま二十七
金色の ちひさき鳥の かたちして 銀杏ちるなり 夕日の岡にニ十八
遠つあふみ 大河ながるる 国なかば 菜の花さきぬ 富士をあなたに二十九
ふるさとの 潮の遠音の わが胸に ひびくをおぼゆ 初夏の雲三十
沙羅双樹 しろき花ちる 夕風に 人の子おもふ 凡下のこころ三十一
夏のかぜ 山よりきたり 三百の 牧も若馬 耳ふかれけり三十二
水引の 紅きニ尺の 花引いて 遣らじといひし 暁の道三十三
春の雨 高野の山に おん児の 得度の日かや 鐘おほく鳴る三十四
地はひとつ 大白蓮の 花と見ぬ 雪の中より 日ののぼる時三十五
わが肩に 春の世界の もの一つ くづれ来しやと 御手を思ひし三十六
ほととぎす 東雲どきの 乱声に 湖水は白き 波たつらしも三十七
椿ちる べに椿ちる つばきちる 細き雨ふり うぐひす啼けば三十八
花草の 原のいづくに 金の家 銀の家すや 月夜こほろぎ三十九
住の江や 和泉の街の 七まちの 鍛冶の音きく 菜の花の路四十
湯気にほふ 昼と火桶の かず赤き 夜のこひしき 父母の家四十一
一はしの 布につつむを 覚えける 米としら菜と からさけをわれ四十ニ
あなかしこ 楊貴妃のごと 斬られむと 思ひたちしは 十五の少女四十三
子らの衣 皆新らしく 美しき 皐月一日 花あやめ咲く四十四
おどけたる 一寸法師 舞ひいでよ 秋の夕の 手のひらの上四十五
わざはひか たふときことか 知らねども われは心を 野ざらしにする四十六
張交ぜの 障子のもとに 帳つけし するがやの子に 思はれし人四十七
十二まで 男姿を してありし われとは君に 知らせずもがな四十八
その昔 はじめて君と 洛外の 霧にまかれし 日もおもひ出づ四十九
よしあしは 後の岸の 人にとへ われは颶風に のりて遊べり五十
母として 女人の身をば 裂ける血に 清まらぬ世は あらじとぞ思ふ五十一
大和川 砂にわたせる 板橋を 遠くおもへと 月見草咲く五十二
君こひし 寝てもさめても くろ髪を 梳きても筆の 柄をながめても五十三
三千里 わが恋人の かたはらに 柳の絮の 散る日に来る五十四
ああ皐月 仏蘭西の野は 火の色す 君も雛罌粟 われも雛罌粟五十五
物売に われもならまし 初夏の シヤンゼリゼエの 青き木のもと五十六
小鳥きて 少女のやうに 身を洗ふ 木かげの秋の 水だまりかな五十七
いろいろの 小き鳥に 孵化りなば うれしからまし この銀杏の実五十八
とけ合はぬ 絵の具のごとき 雲ありて 春の夕は ものの思はる五十九
身の中に アマリリスより 紅き花 咲かせて二人 見るとしぞ思ふ六十
鬼の面 狐の面を 被て遊ぶ 子達を廊下に 吹く秋の風六十一
火の端の 見ゆと躑躅の 花摘みぬ 抑へんとする 思ひのある頃六十二
花一つ 胸にひらきて 自らを 滅ぼすばかり 高き香を吐く六十三
ふるさとの 和泉の山を きはやかに 浮けし海より 朝風ぞ吹く六十四
思出の 中にたふとく 金色す ロダンと在りし アトリエの秋六十五
長持の 蓋の上にて もの読めば 倉の窓より 秋かぜぞ吹く六十六
明日といふ よき日を人は 夢に見よ 今日のあたひは われのみぞ知る六十七
新しき 春の初めを よろこびぬ 冬籠なる かたちのままに六十八
夕には もとの蕾に かへるなり 花菱草に なるよしもがな六十九
目の前に 蘭陵王を 舞う蜻蛉 いみじく清く 日の暮れてゆく七十
いつしかと 椿の花の ごとくにも 繋がれてゐし 君とわれかな七十一
身の半 焔に巻かれ 寂光の 世界を見るも 恋の不思議ぞ七十二
劫初より 作りいとなむ 殿堂に われも黄金の 釘一つ打つ七十三
花びらを 吊鐘のごと 円くして 雪を覗ける 紅椿かな七十四
ほととぎす われは五更の 山の湯に 恋の涙を 洗はんとする七十五
大木の 倒さるること 幾度ぞ 胸をば深き 森とたのめど七十六
いさり火は 身も世も無げに 瞬きぬ 陸は海より 悲しきものを七十七
秋の夜に 君を思へば 虫の音の 波やはらかに 寄る枕かな七十八
指などの 鏡に触れし 冷たさを 全身に知る 秋の来りて七十九
散る時も 開く初めの ときめきを 失はぬなり 雛罌粟の花八十
七月の 夜能の安宅 陸奥へ 判官落ちて 涼風ぞ吹く八十一
われの名に 太陽を三つ 重ねたる 親のありしとも 思はれぬころ八十二
心をも 綾の衣が やはらかに つつむと知りぬ 女人と生れ八十三
黄金の 恋のこころが 流すなる 紅き涙よ つきずあれかし八十四
空にのみ 規律残りて 日の沈み 廃墟の上に 月上りきぬ八十五
十余年 わが書きためし 草稿の 跡あるべしや 学院の灰八十六
フワウストが 悪魔の手より 得し薬 われは許され 神よりぞ受く八十七
家にあり 病院にある 子と母の 隔たるみちに 今日は雨降る八十八
絵本ども 病める枕を かこむとも 母を見ぬ日は 寂しからまし八十九
かぐや姫 二尺の桜 ちらん日は 竹の中より 現れて来よ九十
流星も 縄とびすなる 子のやうに 優しく見えて 河風ぞ吹く九十一
むさし野の 家に帰れば 菊の香の 冷やかに立つ 夕月夜かな九十二
堺の津 南蛮船の ゆきかへば 春秋いかに 入りまじりけむ九十三
菜種の香 ふるき堺を ひたすらむ 踏ままほしけれ 殿馬場の道九十四
青空の もとに楓の ひろがりて 君亡き夏の 初まれるかな九十五
筆硯 煙草を子等は 棺に入る 名のりがたかり 我を愛できと九十六
源氏をば 一人となりて 後に書く 紫女年若く われは然らず九十七
ありし日に 覚えたる無と 今日の無と さらに似ぬこそ 哀れなりけれ九十八
封筒を 開けば君の 歩み寄る けはひ覚ゆる いにしへの文九十九
冬の夜の 星君なりき 一つをば 云うにはあらず ことごとく皆百
あゝをとうとよ 君を泣く 君死にたまふ ことなかれ